エッセイ

 サスペンスドラマは良く見る方である。残酷な殺人の場面がきらいで、女性はあまり好きでないようだが、それはそれ所詮ドラマと割りきってみるから、あまりどきどき感やはらはら感はなく、つまりは犯人は誰? と言う謎解き感がたまらないのである。だから煎じ詰めれば、最初の場面と、これが犯人だろうという目星がつくころの、終り三十分を見れば、事足りる、いわば製作者にとっては、不本意な見方をする。

 サスペンスドラマで、特に面白いと思うのは、駅シリーズである。確か原作者は、西村京太郎。

 日本各地の実名の駅を舞台に、さまざまな事件が展開するのが、妙にリアリティがあり、何よりも犯人に結びつくまでの、複雑な構成が魅力である。と、ここまでが前置きで、ここからは、私の駅への思いである。

 日本中にはいったい駅はどのくらいあるのだろう。無数といっても過言ではないだろう。廃止された駅、新しく出来た駅、統合された駅、駅の存在も、時代、世相に呈して、さまざまに変容する。私が高校時代に、通学に利用した、上沼駅もとうになくなっている。無論、線そのものが廃止されたのだから、なんとも言いがたい。

 駅には、ロマンと懐かしい響きを感じるのは私だけではないだろう。私が特に思い入れが深い駅は沢山あるが、しぼって言うと、上沼駅と上野駅である。上沼駅は、実家から一番近い駅であり、歩いて十五分のところにある。当時上沼村と言ったときの、唯一の交通手段であった。その路線は仙北鉄道と(仙台の北の意味)いい、瀬峰を始発点とし、登米町を終着点とした。所要時間は四十分ぐらいだったと思う。その登米町と上沼村、さらに多くの町村が合併して、現在の登米市となったのであるが、悲しむべきことに今回の東日本大震災であまりにも有名になってしまった。

 上沼駅、ずっとずっと前までは、上沼停車場と言っていた。上沼駅と呼ばれるようになったのは、何時ごろだったろうか、定かではない。その上沼停車場に、思い出と言うには、ほんのささやかなことだけど、亡き父との思い出がある。

 田舎の路線なので一時間に一本あるかないかの本数、マイカーのなかった時代、その一本を逃すと大変である。

 幼い私は父に連れられ、駅に向かった。用事はさだかに思い出せないが、当時耳鼻科通いをしていた記憶があるので、たぶん不都合の生じた母に代わって病院へ連れていってくれたのだろう。

 まだ発車時間までかなりの時間はあるというのに、父と私はすでに駅のベンチにいたのである。この間、父とどのような会話をしたかは思い出そうにも思い出せないが、一時間近く待ったというのだけははっきりと覚えている。子供心によほど退屈だったのだろう。

 今思うと父は定められた時間より、何時も早め早めにその場にいた。以来私も時として、時間より早めに行動するくせがあるが、原点は、あの停車場のベンチの父の姿にあることは、間違いはない。

 もうひとつ、忘れられない駅、それは一気に飛んで上野駅である。東北新幹線の始発駅が東京駅に変わってから、寂しくなった感は否めないが、それでも、まだまだその賑わいを知っている東北出身にとっては、なつかしさを感じさせられるに十分である。

どこかで故郷の香りをのせて
入る列車のなつかしさ
上野はおいらのこころの駅だ
くじけちゃいけない人生を
(以下略)

 と唄う、青森県出身の井沢八郎の『ああ上野駅』は抜群の歌唱力も手伝って、中学を卒業して、集団就職し、金の卵ともてはやされた、東北出身のみならず日本中の若人たちのこころを慰め、勇気を与えるのに十分だった。この井沢八郎の『ああ上野駅』の歌碑は、上野駅に建立されている。

 父死亡の知らせを受けたのは、四十一年前の6月の末だった。当時まだ首の据わらない、二か月の長女をつれて、姉夫婦、大学を卒業したばかりの弟と上野駅に向かった。二ヶ月間の食道がんの治療を終え、退院してわずか五日目での死亡、完治を信じていただけに、まさに晴天の霹靂とはこのことを、言うのだろうと、誰彼をうらんだりしたが、とにかく恨んでいる場合ではない。やっとの思いで上野駅に着いた。まだ新幹線が開通していなかったので故郷はまだまだ遠い遠い時代だったのである。

 構内は、人、人であふれていた。長女を背にし、私は悲しくてならず、滂沱の涙を流し続ける。行交う人びとはそんな私を怪訝そうにみていた。そのような目を全く気にすることさえなく、私はひたすらホームにたどり着くまで泣き続けたのである。そのとき着ていたワンピースの色はグリーン、模様は幾何学模様、仕立ててくれたのは、友人のお義姉さんであったとまで覚えている。このときのショックがあまりにも大きかったことにほかならない。

 それから、しばらく私にとっての上野駅は悲しい駅でありつづけた。

 駅にまつわる思い出は、このほかにいっぱいあるが、なんと言っても、亡き父にまつわる、今は幻となった故郷の上沼駅と、当時東北本線の始発駅であった上野駅が鮮明である。

 私が、サスペンスシリーズで、ことに駅シリーズが、好きなのは、意外とこのことに由来しているのかもしれない。

最後に啄木の歌を一首

故郷の訛りなつかし停車場の
人ごみの中にそを聞きにいく

 この停車場とは上野駅のことである。この歌碑も上野の駅に建立されている。

エッセイ集 白鳥の歌 より
村上トシ子 著
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