三日月さまの目

エッセイ

 運動会といえば、遠い遠い私の運動会を時々思い出しては、涙ぐむことがある。それは一等を取り続けたこと、陸上選手で活躍したことでもない。

 小学四年生のときの運動会、今もどこの学校でも、ダンス、遊戯の披露があるが、私たちの時もあった。今の子供たちのような、派手で動きの激しいパフォーマンスではなく唱歌や童謡の振り付けだった。息やすみの意味もあってか、たいていはプログラムの中ほどか、あるいは昼食をまえに組み込まれていたと思う。

『夕日』、ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む、が歌いだしのあの童謡に合わせて踊るのが私たちの運動会での遊戯であった。幾つかの輪になり両手を高くあげて、指をくるくると廻しながら移動し、場所を変えていく。くるくると廻す動作は夕日のぎらぎら光る様を表したのだろう。

 少し場所を変えたところで、ふと母の眼と出会った。三日月さまのような目であった、私の踊るさまから片時も目を離さないと見える母の眼、照れ臭かったがとても嬉しくおもい、いっそう真剣におどったように思う。その眼は私が場所を移動する度に一緒についてきた。

ぎんぎんぎらぎら夕日がしずむ

ぎんぎんぎんぎらぎら日がしずむ

まっかかそらのくも

みんなのお顔もまっかか

ぎんぎんぎらぎら日がしずむ

 今ではあまり聞かれなくなった童謡「夕日」、ほんとうにたまに思い出のメロデーで聞くことがあるが、私にとって、この童謡に浮かぶ風景は夕焼けの空でもぎらぎらの夕日でもなく温かい母の眼なのである。そして思う。あの時の三日月さまのような母の眼はさしずめ、今版ビデオカメラの眼だろうと。写真やフィルムとしての記録としては手もとに残ってはいないが、私の記憶の中に今も鮮やかに残っている。

エッセイ集 白鳥の歌 より
村上トシ子 著

www.amazon.co.jp/dp/B07G42XHVJ