母の捧げもの

エッセイ

 戦後、七、八年私が住む村も混乱がようやく落ちついたもののまだまだ人々の生活は困窮を極めていた。(それは日本全国どこも同じだったと思う。)ことに疎開者の生活はひどく、住む家はどうにか確保できたものの、収入のあては乏しく、あちらこちらの農作業を手伝いその手間賃で糊口を凌いでいた。

 私の実家から、二百メートル位離れた所にもそのような家族がすんでいた、Mさん一家、ご主人は魚の行商はしていたものの、まだまだ生活の足しとは生らなかった様であった。

 或る日、私は母が、風呂敷包みに何やら包み、Mさん宅に向かうのを見た。その行為は時たまみられたが、別に気にも留めなかった。あとで、奥さんに着物をあげていたと知った。

 またある日のお昼時、物乞い(毎日のようにきて、小銭や物品をねだる)がきて、弁当箱を差し出し、ご飯を詰めてくれと言う。母はそのアルミの弁当箱にご飯をぎゅうぎゅうと詰めて、その上に、焼きたての秋刀魚の干物をどかっと乗せた。そして「ここで食べらっしゃい」と言った。物乞いは目を丸くして「とんでもない」となんどもと繰り返し、頭をさげて出ていった。

 その日の夕方、隣のTさんが、茶のみにきて、それらしき人が、田んぼのあぜ道で、美味しそうに弁当を食べていたと知らせてくれた。

 あの秋刀魚は、多分母の食い分だったのだろう。

―――――――

みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです

マルコの福音書章節

エッセイ集 白鳥の歌 より
村上トシ子 著
www.amazon.co.jp/dp/B07G42XHVJ